Photographer Chihaya Kaminokawa 神ノ川智早

神ノ川智早

神ノ川智早

NEWS

1.31

2012Tue01.31

きょうで1月が最後。月の区切りというのはいいものだなと、あらためて思う。時間がえんえんとつづくなかで、さて自分はどうやって生きてるかな、とたちどまって見るきっかけになる。ひとつ進んだような気になっても下がっていたり、気がつくと知らぬ間にふたつ進んでいたり。進むことも下がる事もあるけど、ただただ動きつづけてておこう、そしたら進む先も変わったり、進む自分の形もかわるのでは、と思う月の終わり。

1.20

2012Fri01.20

変化はちゃんとおきるんですよ、あしたはあしたなのですよ。と、今日お仕事でお会いした方が話していた。変化について最近よく考えていたので印象的だった。何かに変わって欲しくないのに変わって行く時は、変わった事をいつもの生活にちょっとずつはめこんで、新しい形をつくってそれをおもしろがれれば、なんにも怖いことはないよなあとおもう。
じゃあ、変わって欲しい事があるのに変わらないものはどうしたらいいんだろうの答えが、変化はおきる、明日は明日。なのかもしれない。そして変化は、変わって欲しかったものにもおきるかもしれないし、自分にもおきるのかもしれない。どちらにしても、きっと、おもしろいことなのだと思う。

1.17

2012Tue01.17

こどものまま大人になったような、とか、少年のような人だ、とか、そういう表現がある。そして、実際にそういう人はいる。少年や少女というのは、人をひきつける。でも、少年少女であれば誰でも引きつけられる訳じゃなく、素直で、まっすぐ、正直だということが人を引きつける。
少女のような女の人って、実はとても少ない。女の人は、上手に上手に素直さやまっすぐさを仕舞うか捨てるかして、したたかに大人へなっていく。そしてそれは女の強さと逞しさだなあと思う。
友人に、少女のような女の人がいる。彼女と一緒にいるだけで、きゅうに世界がぱーっと光るように楽しくなる。それは、彼女がきらきらとしていて、なんでもない物まで照らしてしまうからだとおもう。こういう物をみたらこう言おう。こういう事が起きたらこうしよう。そういう決まり事はなく、飛び込んできたものをそのまんま受けて、ぽーんとはじき返す。わたしはそのはじき返されたものが面白くて面白くて、いつまでも一緒に遊んでいたいと思う。いつまでも遊んでいたい自分も、少女に戻ったような気持ちになる。

新年

2012Wed01.04

12月にずっと部屋の大掃除をしていたおかげか、新しい年がやってきてもあせらず、いつもよりおちついて、お、新年来たね、と余裕でいられた。年末はいつも実家のある岐阜へ帰省する。今年は弟夫婦と姪も帰ってきていたので、ずっと姪のオンステージ。子供のいるところというのはどこもそう。何をやっても注目の的なので、姪は安心して幸せそうに遊び、笑い、食べ、泣いて、眠っていた。小さいけど誰よりもきれいで、エネルギーにあふれていて、どこも適わないんじゃないかと思った。なによりも、姪は今の瞬間だけに生きている。そこも、絶対に適わない。

1.16

2012Wed01.04

友人からひさしぶりに電話があった。共通の知り合いの方が、去年亡くなられていたということを話し、しんみりとする。まだ若く、信念をもってお仕事されていて、きりりと背筋の伸びた、とてもかっこいい女の人だった。今でも信じられないし、どこかでばったりお会いするような気がしてしまう。そういうとき、そうだった、私も死にむかっているんだと思い出す。死ぬために生きているわけじゃないけれど、生きている限り死ぬことはいつかやってくるんだったなあと。それがやってくるまではなにがあっても生きて、自分の好きなことを追求して、目の前にいる人を愛して、手の中にあるものをたいせつにしていく。そうおもう。