Photographer Chihaya Kaminokawa 神ノ川智早

神ノ川智早

神ノ川智早

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夏の鹿児島

2012Sun08.05

母と弟家族が岐阜から鹿児島へ帰るというので、たまったJALのマイレージでチケットを買い、私は羽田から鹿児島へ向かった。夜に到着すると、祖父母の隣に住む叔母が、私を最寄りのバス停に迎えに来てくれて一緒に家まで向かった。叔母の家のテレビでは、ちょうどオリンピックの女子サッカーがついていて、日本とスウェーデンが戦っている。台所の勝手口から、祖父の家の勝手口まで12歩ほど暗闇を歩き、扉を開けて居間の様子をうかがうと、藤の椅子にちょこんと座って甚平を着て、祖父はサッカーをみていた。
おじいちゃん、こんばんは。と背中から声をかけると、さっと振り返って、おお、いらっしゃい、来たか。と迎えてくれた。オリンピックだね。というと、そうだよ、毎日毎日いろんな催し物がやるから楽しいよ。と祖父。催し物、という表現が可笑しくて笑った。
寝たきりのおばあちゃんの部屋に行って、こんばんはと挨拶する。おばあちゃん、わかる?と名前を言うよう促すと、ゆっくり、ちはや、と声を出してくれた。祖母は聞くだけで話さないけれど、私の近況を話してからおやすみ、と部屋を出た。
次の日は、先に到着していた母と二人で祖父母の家を大掃除した。ぞうきんを3枚用意して、玄関から水拭きをする。桜島が噴火するたびに降ってくる細かな灰で、家の中でもぞうきんが真っ黒になる。祖母のベッドのそばで床を拭きながら、眠っている祖母の顔を見る。白髪で、しわもあるのにお肌がつるりとして、安らかで赤ちゃんのようだった。おばあちゃんが今もし話せたら、どんなことを考えて生きて来たのか、いろいろ聞きたかったよと心の中で話しかけた。
居間へゆくと、昨日と同じ格好をした祖父が、なぜか帽子をかぶり、サッカーの試合を見ていた。画面を見ると、昨夜と同じ試合だった。掃除、ありがとう!と言いながら右手をさっと上げる祖父。帽子、どうしてかぶってるの?と聞くと、デイケアへ行ったときにもらったんだと嬉しそうに言うので、似合ってるよと言って、そのままにしておいた。
12時近くなったので、叔母の家に戻った。従兄にそうめんのありかを聞き、冷蔵庫の中をチェックする。お昼を作ることを叔母に報告しようと、名前を呼んで家中をまわる。もう一度祖父の家へ戻り、階段を上がって2階の部屋へ入ると、机の上で突っ伏していた叔母が、うん?と振り返る。顔を見たら、目に涙を浮かべて泣いていた。どきりとして、大丈夫?と聞いても何も言わない。叔母の背中に手を当ててしばらく撫でていたら、ちはや、暑い。と言われたので手をはなし、お昼はそうめんでいい?と聞いた。うん、と頷いたので、出来たら呼ぶからね。と言って部屋を出た。
祖母が寝たきりになってからずっと、朝から晩まで叔母は祖母のお世話をしている。心臓が弱って物忘れも多い祖父のことも気にしている。電話で話したとき、ついついおばあちゃんに怒ったり、おじいちゃんと喧嘩したりしちゃうの。でも、弱い人に怒ったらだめだなあって反省するのよ、と明るく、柔らかい鹿児島弁で言っていた。おじいちゃん、おばあちゃんと呼んでいるけれど、叔母の父親と母親なのだ、と当たり前のことを思う。
それから午後に弟がやって来た。赤福と、冷やしういろうと、鮎の形をしたお菓子を持って、賑やかにただいま!と言って。連れてくるはずだった義妹と姪は、事情があって来れなかった。
私は、せめて美味しいご飯をつくろうと決めて、夜も晩ご飯をつくり、最後は食器も洗うつもりだったのに、昼間の掃除や買い出しや8人分の料理に疲れ、ビールを飲んだ事もあり、祖父の隣にぐたっと座ってTVでオリンピックを見ていたら、私以上に働いていたはずの母と叔母が、さっさと食器を洗ってしまった。
鹿児島にいる間に、お墓参りに行った。弟と、従兄2人と私の4人で出かけた。回転寿しではしゃぎながら好きなものを食べ、桜島へ渡り噴火で灰に埋まった鳥居を見て、みんなで温泉に入り、白熊を食べた。祖父の大好きなおそば屋さんへ7人でわいわいと出かけた。夜は女3人で料理して、8人であっという間に平らげた。
昔は焼酎の一升瓶を傍らにおいて飲んでいた祖父は、今は心臓が弱いので、叔母からビール一杯にしなさいと言いつけられている。それでもある晩、話がもりあがりすぎて楽しかったのか、おい、も一杯注げ。と言った。じゃあ、あと一杯だけね、と言ってビールをコップ3分の2注ぐと、ふん、これだけかと言って祖父はにやっと笑った。
帰る日の午後、従兄が、鹿児島湾を一望出来る展望台に連れて行ってくれた。目の前で大きな桜島が灰を吹いていて、遠くは大隅半島まで見えた。母と弟、従兄と感動して、ああ、ずっとここにいたいねと言い合った。
飛行場まで行くバスに乗るため、従兄が最寄りのバス停まで送ってくれることになったので、ばたばたと荷物を外へ出し、祖母へさよならを言いに行き、みんなに挨拶して車に乗り込んだ。全員が道路に出て、見送りをしてくれた。手を振って、さあ出発、というところでとつぜん、後部座席のドアがあいてよろよろっと祖父が車に乗り込んで来た。見送りに行く。と、なんだかむすっとした顔をしている。車の外で叔母が、お父さん、もう、、、と心配そうな声を出したけれど、そのまま従兄は車を出した。
見送りありがとね、と言うと、うむ、と声にならない声で頷き、がんばれよ、と言う。もう写真はいいから嫁にいかんか、とか、子供を産んで子孫をつなげて行くのが女の使命だよ、と私に時々言う祖父も最後はただ、まずは健康。それがあれば大丈夫。といつもの言葉を言った。私も、また来ます、おじいちゃん元気でね。といつもの言葉を言って、手を振って別れた。

ほぼ日のいい扇子

2012Sat08.04

ほぼ日刊イトイ新聞で、夏の日の扇子の撮影をさせてもらいました。9人のデザイナーさんが作った扇子、素敵なものばかりでした。風を起こしたり、影を作ったり、夏には本当に重宝する扇子。モデルのチェルシーちゃんがぱたぱたと扇ぐ姿がとても美しかったです。サイトはこちらから。

クーヨン8月号

2012Fri08.03

クーヨン8月号で表紙と、のびのび家族という特集、7ページの撮影をさせてもらいました。いわさきちひろさんの孫にあたる女性と、そのご家族の写真です。
私は結婚もしていないし、子を持ったこともないので、家族をつくってゆくということがまったく未知の世界です。それに対しては猛烈な憧れと同時に、冷静に観察する気持ちがあります。そのふたつをもって撮影をすることが、自分にとってはすごく面白いことです。
家族をつくり、大切にそれを守りながら生き、育ってゆくこと。一人で暮らし、仕事をして自分に目を向け、また周りの人と育つ関係をもつこと。どちらにも、そこでしか見えない世界があって、そこにしかない光や闇があるのだろうなと思います。
その時、その場所にしか無いものなら、今をきちんと生きて行けたら最高だと思います。そしてまた、時間がたって今と違うものがやってきたら、どうぞ、とまずは受け入れてみればいい。撮影でいろんなご家族に会うたびに、そう感じています。

新・幕末純情伝

2012Fri08.03

つかこうへいさん三回忌特別公演のパンフレット撮影をさせてもらいました。沖田総司は、実は美しい女剣士で、彼女に坂本龍馬が恋をしたというお話でした。
幕末に生きた人達が持っていた劣等感、憧れや欲望、執着心や狡さを、坂本龍馬がやさしく深く受け入れる姿が、それはもう、ほんとうにかっこよかったです。
舞台稽古、ゲネプロ、そして本番と3回舞台を見ました。3回が3回ともぜったいに泣いてしまうところが数カ所あり、舞台撮影は大変でした。
貧しい長州の農家でそだった桂小五郎が、泥を食い、米屋の主人を殺して女房を犯し、店を乗っ取り這い上がって来た過去を坂本龍馬は知っていました。桂小五郎の為に長州へ出向いた坂本龍馬が後に、俺は長州で泥を食ってみた。そりゃあ不味かったぜよ。お前、ここまでよくがんばったな。と声をかけるところ。
小さい頃から剣の稽古ばかりさせられ、女として生きられなかった沖田総司を口説くとき、故郷の母親へ宛てた手紙を読んで聞かせる坂本龍馬。
自分はやっと伴侶となる女と出会った。その者は心優しき美しい女である。きっと母上にも優しくしてくれる。土佐を離れるとき母上より預かったかんざしを、その者へ渡す所存である。来年には土佐へつれて帰るつもりだと読み上げます。そして総司に、お前に天から落ちてきそうな大きな月を、降ってきそうなたくさんの星を土佐でみせてやる。母ちゃんの焼いた秋刀魚を食わせてやる、姉ちゃんのつけたべったら漬けを食わせてやる。と言うところ。
人の持つ弱さを責めず、やさしい言葉と行動で愛情を見せる龍馬と、それを受けて変わって行き、それでも時代の流れに逆らえず倒れて行く人たちの物語でした。どの時代でもきっと人の心は変わっていなくて、その本質を描いているからつかこうへいさんの舞台は魅力があるのだと思いました。

七緒2012夏号

2012Thu08.02

七緒、2012年夏号で「愛しの手仕事」6ページを撮影させてもらいました。スタイリスト、イラストレーター、編集の方々が大切に使っている小物を紹介するページです。職人の手で作られた日傘や籠、扇子に帯留め。ひとつひとつ、本当に綺麗な小物でした。
物として誰かの手に渡り、大切にされて愛されているからなのか、作られたばかりの時よりもきっと、ずっと魅力的になっているのだろうなと感じました。物には多分、手にした人の心がそのまま現れるのだと思います。